中村剛彦 生存と詩と
10、晩夏の水晶


 半年ぶりに書く。半年間、書けなかったこの「生存と詩と」を、ようやく書こうと思うきっかけは、大切な人への詩を書いたからである。
 蓋し詩を書く行為はひとりで常に行われてきた。この半年はどこに発表する予定もなく、毎晩寝る前に、酩酊しながらノートにつらつらと書いてきた。いや懸命に書いてきた。このとき、わたしは半詩人であった。そしてその詩を大切な人へと手渡すことになったとき、わたしは詩人になったのだと今さらながらに実感する。
 いま述べた「大切な人」は、真に詩を手渡す人のことである。そのために何度も酩酊ノートの詩らしきものを推敲し、ほんとうの詩へと昇華させるのが詩人である。

 この半年、その「ほんとうの詩」が書けずにいたのは、生来の怠け者であるからでもあるが、この「ほんとうの詩」を「ほんとうの命」と考えて過ごしてきたからだ。

 実は、昨年末にもっとも尊敬する母が倒れ、その後父が倒れた。それから両親の介護生活がはじまった。それまで予想もしなかった人生の急展開に戸惑いながらも多忙を極めた。三年前に亡くなった愛犬の介護生活の苦労など吹き飛ぶ(当時はそれはそれで人生最大の痛みを伴ったが)、親の介護生活は凄惨たるものである。兄弟姉妹の確執が表面化し、人間の、悪意なきエゴイズムが剥き出しになり、もっともわたしが人生から遠ざけたて生きてきた「魔」のど真ん中にこの半年わたしは投げ込まれた。

 ことの詳細はプライバシーに関わることなのでここに記すことはしない。一つだけ言えることは、私の詩作行為が、この残酷な現実を前に「命」の問題を正面から捉える契機を迎え、古来、文学、芸術が長く抱え込んできた根本命題「生と死」を、いかに精確に己の詩に引きつけることができるかがいま問われているということである。
 医療・福祉システムが発達し、ますます「命」とは何か、それは生かされることであるのか、あるいは生きることであるのかを黙考しながら、「ほんとうの詩」=「ほんとうの命」とは何か、問われている。

 そんな思いに沈みながら、この8月末に書いた「大切な人」への詩は以下である。

水晶     中村剛彦

明日もまた幸福な鳥は死に
夏の子らは笑い泣く
なぜなら死は
彼らに季節を巡らせてくれるから

絶命に絶命を重ねて生きて
やがてみな凍った森をさまようガラスの狼になり
残夢は氷土の下で
満天の星とささやきあう

(早く死にたい
 この名前を燃やしたい
 なぜならもう草原に寝そべることができなくなったから)

今夜もまた射抜かれた獣は瞳を充血させて
泡噴く大口に潮風を呑み込み
二千年を生きつづける
銀色の渡り鳥となる

わたしはいつか
太陽が去った廃墟の空を旋回しながら
一本の石柱の足元に羽を畳む
鏡から溢れ出す破調の音楽に耳を澄ます
そしてふたたび羽ばたく

星がすべて落ちゆくまで
すべての鏡の夜空を打ち砕くまで
すべてのことばの羽を脱ぎ捨て
力なく 落ちていくとき 

この幸福な鳥はあなたのものだ
この祝祭の夏の日に
捧げられる一粒の水晶。

 再読し、詩がどんどん下手になるなと思う。それでもやはり「ほんとうの詩」は私の生存の中心にある。

(2023.9.4)


中村剛彦(なかむらたけひこ)
1973年、横浜生まれ。詩人。元ミッドナイト・プレス副編集長。詩集『壜の中の炎』『生の泉』(ともにミッドナイト・プレス)。共著『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)。
隔月連載評論:「平成詩漫歩」(「新次元」サイト)https://gshinjigen.exblog.jp
過去の連載等(ミッドナイト・プレスHP)
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